【遺書】 page.1

僕は死にました。

これを書いているときには生きていたのに、これが読まれるときには死んでしまっている。

まるでこの手紙が僕の生と死の間を取り持っているようで、なんだか不思議な感じがします。

けれど、手紙を読まなかったら僕が生きていることになるかというと、そうではないのが残念なところです。


ー*ー*ー*ー


さて、これから書き記すことは自分が死んでしまったあとのことです。

本来なら生きていた頃を振り返り、家族や恋人、友人などに感謝や愛情を伝えるべきなのかもしれませんが、僕はまず自分が死んだあとの世界を想像してみたい。

こうやって生きているうちに(今はもう死んでいますが)自分の死後のことを想像する機会は、そう多くはありません。

特にまだ若い世代であるほど、その機会は少ないのではないでしょうか。

だから四半世紀程度生きたこのタイミングで一度、自分の死後に思いを馳せてみるのは、いい機会なのだと思います。

それに人はいつ死んでしまうかわからないし。

これを書いてる途中で死んでしまっても、それはちっとも不思議なことではありません。

人の死とは早いか遅いかの違いはあれど、誰にでも平等に訪れることなのですから。

それはつまり、人生の最期には必ず死がピリオドを打つ、ということです。


ー*ー*ー*ー


僕の人生という物語も、死というピリオドできっと終わることでしょう。

それは避けようのないことです。

けれど、終わったのは僕の物語だけであって、同じ時に終わってしまった人たちを除けば、世界に存在するほとんどの人は、これからもそれぞれの物語を綴り続けていきます。

そしてその物語の集まりが、世界という形を成して進行していくのです。

しかし人の死というのはときに、残った人たちの物語に影響を及ぼすことがあります。

それは、より親しい人間が相手であるほど顕著なことでしょう。

親しい人間というのは、前述の家族や恋人、友人のことを指します。

つまり、死に備えて感謝や愛情をあらかじめ書き残したいと思えるような存在のことです。

さて僕の物語のピリオドは、彼らの物語にどういった影響を与えるのでしょうか。

(いやそもそも、影響を与えられるほど僕は彼らにとって親しい存在だったのか、という疑問は残りますが)

もしかしたら、いまこの手紙を読んでいるあなたは当事者、あるいは傍観者かもしれませんから「僕が死んだあとの世界はどんな感じですか?」と聞けばそれで済むのかもしれません。


ー*ー*ー*ー


僕が死んだあとの世界はどんな感じですか?

まずどうでしょう、僕は誰かの親しい存在になれていましたか?

誰かが僕の死を悲しんでいましたか?

知らせを聞いて、少しでも涙を流していましたか?

心のどこかから僕という存在がいなくなって、そこに小さかったとしても空白ができたでしょうか?

僕は誰かの物語になにか影響を及ぼせたのでしょうか?

もしあなたが当事者なら、死んでもなお迷惑をかけ続ける僕をどうか許してください。

僕のような無価値な存在が、あなたの物語に何かしらの影響を与えるなんて、おこがましいことですよね。

けれど、こんなことを言うのは良くないのかもしれませんが、誰であろうと、僕が死んでしまったことで悲しんだり、涙を流したり、あるいは心に空白ができたり。

そういった影響を受けた人がいてくれたのなら、僕にはそれがどうしようもなく嬉しいのです。

僕はそこに自分という存在の必要性を、そして下手なりに頑張って生きていた人生の意味を感じることができるからです。

ホント無責任でひどい話ですよね。

でももう一度言いますが、こんな不孝者で変わり者の僕をどうか許してください。

そして出来るだけ早く、僕のことを忘れてほしい。

僕はあなたの物語が僕のピリオドを乗り越えたその先まで、長く、そして永く続いてくれることを願っています。

だから、僕とあなたはここでお別れです。

僕はもうこの先へは行けないから。

さようなら、僕の大切なひと。

そして、どうぞお元気で。

BoBo's Identity

僕という人間

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